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マーケティングフレームワーク

ペルソナとカスタマージャーニー③ ペイシェントジャーニー ―患者の体験を理解することが、医療の価値を高める―

2026年6月15日

医薬マーケティングLab編集部
2026年6月15日読了時間 5分

前回の記事「ペルソナとカスタマージャーニー②」では、「医師のカスタマージャーニー」に焦点をあて、医師の意思決定のプロセスや心の揺らぎを理解し、行動変容を前に進めるための"設計図"としての重要性についてお話ししました。

今回は視点を変えて、医療の最終的な受益者である「患者」に目を向けます。近年、医薬品マーケティングにおいて、ますます重要視されるようになった「ペイシェントジャーニー」とは何か。その背景と基本的な考え方、そして実務への活用方法について掘り下げていきます。

■ なぜ今、ペイシェントジャーニーが注目されるのか

これまで製薬企業のマーケティングは、医師を中心に設計されてきました。MRが医師に情報を届け、処方につなげる。そのモデルが長年にわたって機能してきました。

しかし、医療を取り巻く環境は大きく変わりつつあります。患者中心医療の浸透医師と患者の情報格差の縮小、そしてAI・データ技術の進化

こうした変化を背景に、患者自身が治療の意思決定に関わることへの希望や機会が増えてきました。その結果、「情報を医師に届ける」だけでは不十分な場面が、確実に増えています。

そこで注目を集めているのが、ペイシェントジャーニーという考え方です。

発症から受診、診断、治療、そして日常生活への復帰まで、患者が歩む道のりを時間軸で可視化し、各ステージで何を感じ、何に悩んでいるかを理解しようとするアプローチです。数字やデータだけでは見えにくい、患者の"リアルな体験"がそこには詰まっています。

この関心の高まりには、大きく3つの変化があります。

1.患者中心医療(Patient Centricity)の浸透

「患者中心医療」という言葉は以前からありましたが、ここ数年で実態が伴うようになってきました。患者が本当に求めているのは、検査値の改善ではなく「元の生活に戻ること」「仕事を続けること」だったりします。

QOLや価値観を抜きに治療を語れない時代だからこそ、患者がどこでつまずき、何に不安を抱えているかを理解することが、マーケティング設計の出発点になります。

2.医師と患者の情報格差の縮小

インターネットやSNSの普及で、受診前に疾患名や治療の選択肢、副作用まで自分で調べてくる患者が増えています。もちろん、すべての患者がそうとは限りません。ただ、「医師が決める」から「患者と医師が一緒に決める」流れが着実に広がる中、患者がオンラインでどんな情報に触れ、どう意思決定しているかを理解することは、マーケターにとってもはや無視できないテーマになっています。

3.AI・データ分析技術の進化

これまでペイシェントジャーニーは、インタビューやアンケートをもとにした"仮説の産物"でした。今は医療ビッグデータやAIを活用することで、患者の実際の行動をより精緻に捉えられるようになっています。

勘や経験則だけに頼らず、データで裏づけながら設計できる環境が整ってきた。ただし、データは「何が起きたか」は教えてくれても、患者が「なぜそのとき、そう感じたのか」という主観的なインサイトまでは教えてくれません。だからこそ、ペルソナという想像力が必要なのです。

■ ペイシェントジャーニーの基本構造

ペイシェントジャーニーは、患者が疾患を「知る」ところから始まり、受診・診断・治療・治療継続へと続く一連の流れを可視化したものです。単なる時系列の整理ではなく、各ステージで患者が何を感じ、何に迷い、どこでつまずくのかを理解するための"地図"と捉えるとわかりやすいでしょう。

ステージの分け方は、疾患領域や目的によってさまざまなアプローチがあります。

今回は「発症/知覚」「受診」「検査/診断」「治療」「治療継続」という5つで整理しています。

この分け方の利点は、患者が医療と接触する前の段階、「気づき」から始めている点にあります。

医療側の視点だけでなく、患者が自分の体の変化をどう認識するかというところから追うことで、より実態に即したジャーニーが描けます。医薬品マーケティングの実務においても、使い勝手のよいフレームだといえます。

図表をご覧ください。上部のデータ層では、受診率・診断率・治療継続率といった疫学的な数字を各ステージに沿って示しています。患者集団が全体としてどう動いているかを定量的に把握するためのもので、厳密にはペイシェントジャーニーとは別の分析視点ですが、今回は全体像をわかりやすく伝えるために一体化しています。

本来のペイシェントジャーニーは、その下の層です。

特定のペルソナ(63歳女性・高血圧)を設定し、各ステージでの行動・インサイト・情報のタッチポイントを描いています。

健康診断で高血圧を指摘されても「まだ大丈夫」と様子をみていた彼女が、2年連続の指摘でようやく受診を決意する。自覚症状のない疾患に共通する"腰の重さ"が、ここによく表れています。

治療が始まってからも薬の知識がないまま処方を受け入れ、減塩食は「わかってはいるが実践できない」状態が続く。継続期には血圧コントロールができている一方で、将来の合併症への不安や、医師にうまく相談できない息苦しさを一人で抱えています。

タッチポイントに目を向けると、発症期はWebやテレビ、受診のきっかけは家族・友人の一言、治療期には医師・薬剤師、継続期には再び家族や患者小冊子。ステージによって、患者が頼る情報源は大きく変わります。

どのステージで、誰に、何を届けるか。ペイシェントジャーニーはその問いに答えるための、実践的なフレームワークです。データで集団を俯瞰しながら、ペルソナで個に落とし込む。この2つの視点を重ねることで、初めてマーケティング施策の"打ちどころ"が見えてきます。

■ ペイシェントジャーニーで本当に理解すべきこと

ペイシェントジャーニーを作成するとき、陥りがちな落とし穴があります。それは「ステージを並べただけ」で満足してしまうことです。時系列の整理はあくまで手段であって、目的ではありません。大切なのは、各ステージで患者が何を感じ、何に悩み、どこで立ち止まっているのかを具体的に理解することです。

特に注目したいのが、ボトルネックの特定です。どのステージで患者が止まっているのかを見極めることが、施策設計の起点になります。

たとえば「未受診」というボトルネック。「症状はあるが、病気だとは思っていない」「そもそも治療法があることを知らない」。こうした理由で受診に至らない患者は、どの疾患領域にも一定数存在します。この状況で医師向けのプロモーションをどれだけ強化しても、治療機会は生まれません。

患者が日常的に触れるメディアを通じて、わかりやすく受診を後押しする情報を届けることが先決です。医薬品マーケティングでは、こうした「上流の詰まり」を見落としたまま医師チャネルに投資が集中しがちです。ペイシェントジャーニーを描く意義のひとつは、そのズレを可視化することにあると思っています。

■ 製薬企業ならではの制約と向き合い方

ここで触れておきたいのが、製薬企業が抱える構造的な制約です。医師とは日常的な接点を持てる一方、患者と直接コミュニケーションをとる手段は極めて限られています。これは医師のカスタマージャーニーとの決定的な違いであり、ペイシェントジャーニーを描く難しさの核心でもあります。

だからこそ、以下のような情報収集の手段を意識的に組み合わせることが重要です。

マーケティングリサーチ(定量・定性調査):患者の行動や意識を体系的に把握する基本手段

SNSや患者会、公開情報からの洞察:患者のリアルな声や体験談が、思わぬインサイトをもたらすことがある

レセプトデータ・疫学データなど医療ビッグデータの活用:患者集団の動きを定量的に裏づける

ペルソナを基にした患者視点の想像:データでは見えない"気持ち"を補う

データは事実を教えてくれますが、患者の感情までは教えてくれません。最終的に問うべきは、「この患者は、このステージでどんな不安を抱えているのか」「何が背中を押せば、次に進めるのか」ということです。

その問いに向き合う深さが、机上のジャーニーと実際に使えるジャーニーを分けると感じています。

■ 医師のカスタマージャーニーとの接続

ペイシェントジャーニーは、単独で完結するものではありません。実務で使えるものにするためには、医師のカスタマージャーニーとの接続を意識することが不可欠です。

患者がどのタイミングで医師に相談し、医師がそれをどう受け止め、どんな治療選択を提示するのか。この接続点を丁寧に読み解くことで、医師への情報提供・患者支援コンテンツ・疾患啓発活動が、バラバラな施策ではなく一本の線としてつながってきます。

2つのジャーニーを別々に描いて終わりにしてしまうケースは少なくありません。しかし、両者が実際に交わる瞬間、「診察室でのやりとり、治療方針の説明、処方の決断」こそが、マーケティング設計において最も重要な場面のひとつです。重ねて見ることで、初めて見えてくる"打ち手"があります。

■ おわりに

ペイシェントジャーニーを真剣に描こうとすると、必ずある問いに行き着きます。「この患者は、いま何を感じているのか」その問いを持ち続けることが、医薬品マーケティングの原点ではないかと思っています。

患者の体験を丁寧に理解することで、医師への情報提供はより現実的な説得力を持ち、治療の価値は患者の日常生活の中で具体的な意味を帯びてきます。その積み重ねが、適切な治療の普及という、私たちが本来目指すべき結果につながっていきます。

製品の特徴やデータを語ることは大切です。ただ、それだけでは届かない患者がいる。ジャーニーを描く作業は、そのことを改めて気づかせてくれます。

その先にいる「一人の患者」を見失わないこと。

それが、これからの医薬品マーケティングに求められる姿勢だといえます。

第1回「ペルソナ」はこちら

第2回「医師のカスタマージャーニー」はこちら