ChatGPTが「チャッピー」と呼ばれている。
若者だけの現象だと思っていたら、
最近、壮年の男女から立て続けに耳にした。
この呼び名には、日本特有の文化が表れている気がする。
日本では、犬はワンちゃん、象は象さん、
私の出身の関西では、飴はアメちゃんになる。
深い理屈があるというより、
少し可愛く呼んで、距離を縮めたいだけ。
でも、その感覚自体がかなり日本的だ。
日本は、曖昧さを許容する文化だと思う。
人・動物・モノの境界が、もともとゆるい。
私は、そういった日本の文化は、
日本の八百万神に起因するのではないかと思っている。
万物に気配や意思を感じ、
世界を「管理する対象」ではなく
「関係を結ぶ相手」として扱ってきた。
鳥獣戯画では動物が人のように振る舞い、
北斎の描く世界でも、自然やモノが生き生きと描かれる。
擬人化は、日本では特別な演出ではなく、
ごく自然な世界の捉え方だった。
一方、海外では事情が違う。
AIはAI、
動物は動物、
モノはモノ。
それぞれを明確に分け、
ジャンルによって明確な線が引かれている。
だから「チャッピー」なんていう愛称は、
社会全体で共有されにくい。
もしかすると日本市場では、
性能や正しさの前に、
「カワイイ」と一緒に思える形をつくれるかどうかが、
マーケティングの分かれ目なのかもしれない。
(2026年2月25日X/Instagram投稿)
コラム
なぜ日本では、ChatGPTが「チャッピー」になるのか
2026年4月24日
西
西森 弘造
2026年4月24日 • 1分で読めます
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