「患者中心の医療」が業界共通のテーマとなって久しい。製薬マーケティングにおいても、ペイシェントジャーニー(以下、PJ)は重要な概念として広く用いられている。一方で「ジャーニーマップを十分に活用できていない」という声も、現場では少なくないのではないだろうか。
本稿では、患者中心医療の潮流を踏まえつつ、マーケティングリサーチの観点からPJの作成と活用の勘所、そして実臨床応用に関する今後の論点を整理したい。
ペイシェントジャーニーとは・・・
患者が症状の自覚から診断・治療、現在に至るまでの医療体験を、時間軸に沿って情報を整理し、可視化したフレームワークを指す。併せて患者の行動や心理、医療者・家族・情報源などとの接点(タッチポイント)を構造的に把握することで、各種施策を患者起点で再設計するための共通言語として用いられている。
患者中心の医療への足掛かりとしてのペイシェントジャーニー
「患者中心の医療(Patient-Centered care / Patient Centricityなど)」という概念は新しいものではない。しかしその理念を、日々の臨床現場やマーケティング施策に落とし込むことは、いまも多くの現場が模索を続けている課題であり、PJはその起点や足掛かりとなりうるツールとして改めて注目を集めている。
疾患にもよるが、臨床現場では検査値や画像所見、症状の有無といった客観データが治療判断の主軸を担ってきた。一方で、患者の主観や語り(ナラティブ)を体系的に評価することが臨床アウトカムにも影響しうることを示唆する研究も、徐々に蓄積されてきており、臨床試験での重視度や実臨床における扱いも変わってきている。
たとえばVelikovaら(J Clin Oncol, 2004)は、HRQL(健康関連QOL)尺度の定期測定が、医師と患者のコミュニケーション改善や患者ウェルビーイングの向上に寄与しうることをランダム化比較試験で示した。Baschら(JAMA, 2017)は、転移性固形がん化学療法患者を対象にPRO(患者報告アウトカム)で症状を自己報告し重症化時に看護師アラートを発する介入を行ったところ、通常ケア群と比べ全生存期間(OS)中央値が26.0ヶ月から31.2ヶ月へ有意に延長したと報告している。Denisら(JNCI, 2017)も、進行肺がん患者を対象に、Webベースの症状自己報告と異常時の主治医アラートを組み合わせたフォローアップを行うことで、通常ケア群と比べOS中央値を12.0ヶ月から19.0ヶ月へ延長したと報告している。
これらの研究は、患者の体験や状態を可視化し、共有する仕組みが、患者の意識を高めるだけでなく、提供される医療の内容や医療者の関わり方を変える可能性を示している。客観データに加えて主観データまで併せて捉える動きが広がりつつあるなか、両者を時間軸上で整理し「客観と主観をつなぐ視点」を提供できるPJは、患者中心医療を具体的な施策へと翻訳する手がかりとなりうるツールとして注目されている。
PJの形式は多様だが、診断や治療開始といった節目に沿って、患者の主観情報(生活への影響、感情の起伏、期待や不安などのナラティブ)とタッチポイント(医療者、家族、各情報媒体など)を重ねていく構造が典型的である。何を軸に置くかは目的次第だが、共通するのは、患者の体験を時間軸に沿って整理、可視化し、全体を見通しやすくしようとする発想である。
【図1】ペイシェントジャーニーマップ 形式例
患者に関する「3種類のデータ」とPJの関係
改めて、患者の体験を理解するためのデータの種類を整理すると、性質の異なる3つのタイプがある。客観データ、主観データ、ナラティブデータである。それぞれに強みと限界があり、いずれか一つだけでは患者の全体像を捉えづらい。(主観とナラティブは明確な区分はしづらいが、本稿では特徴を示すため区別している)
【表1】患者理解を支える3種類のデータ

これらは単独よりも組み合わせて読み解くほうが、患者をより深く理解できる。客観データでは説明できない事象を主観やナラティブで捉える。個別事例にとどまりがちな主観やナラティブを客観データから裏付ける。このような補完関係を通じて、患者側の解像度を高めることができる。
実際に、「検査値は改善しているのに、患者は強い苦痛を感じている」、「治療継続率は高いが、患者からは不安や懸念の声が大きい」といった一側面だけでは捉えきれないギャップに出会うことも少なくないだろう。
PJが可視化手法として注目される理由もここにある。PJ自体は新たなデータを生み出すわけではないが、3種類のデータを同じ時間軸上に重ね合わせ、点(個別データ)を線へとつなぎ直す手がかりになりうる。ここにPJの本質的な意義があると考えている。
つまりPJの価値は、患者に関するデータを単に並べることではなく、時間軸上で意味づけし、施策や対話に使える形へ変換する点にある。
ペイシェントジャーニーの活用イメージ
ここまではPJの意義を整理してきた。企業によって実務ではうまく活用できているケースもあれば、作ったまま使いこなせていないケースもあるだろう。よくある活用例として、製薬企業のマーケティングや新規事業企画における2つの場面を取り上げたい。
(1)患者向けコンテンツやサポートプログラムの開発
患者向けの情報発信やサポートプログラムは、患者が各フェーズで何に不安を感じ、どのような情報を必要としているかを起点に設計される。たとえば、診断前後には疾患理解に関する情報、治療開始期には副作用への対処、治療継続期には生活との両立支援など、求められる支援内容は時間軸とともに変化していく。
PJを通じて整理された「情報ニーズ」や「感情の起伏」を参照することで、その時々の患者の問いに応じたコンテンツやプログラムを構築しやすくなる。具体的には、患者向け冊子、疾患啓発サイト、治療継続支援アプリの設計などに活用できる可能性がある。
(2)患者中心思考の社内教育
PJは、製薬企業内部における教育や人材育成の場面でも有効なツールとなる。部門ごとに視点や前提が異なるなかで、MR、マーケティング、開発、メディカルなど各部門がジャーニーマップを共有することで、患者の感情の変化や意思決定における課題を、組織として共通認識できるようになるためである。
各部門で患者像の解像度が上がれば、それぞれの取り組みも変化していく。MRは医師との対話で患者個別の状況を想起しやすくなり、コンテンツや資材作成においても患者視点が反映されやすくなる。研究開発部門にとっても、「どのような医薬品や情報が患者から求められているのか」を考える起点となりうる。さらに、こうした共通基盤は、部門を越えた連携の取り組みにもつながっていく。
いずれの活用においても重要なのは、「ジャーニーが現場で参照される状態」をつくることである。「誰が、いつ、どのように使うのか」を具体化して初めて、PJは“作成された資料”ではなく、“意思決定を支える道具”として機能する。
【図2】ペイシェントジャーニーの活用イメージ


まとめ
現状のPJは、患者理解を整理するうえで一定の価値を発揮している。一方で、本稿冒頭でも触れたとおり、「作ったジャーニーマップを十分に活かしきれていない」という声も少なくないだろう。
その背景には、いくつかの事情があると思われる。まず、日本では患者向け情報発信に法令や業界自主規制による制約があり、PJから得た気づきをそのまま患者接点の施策につなげにくい場面が多い。また、患者理解を深めることが、医療者との対話や情報提供の質、企業としての事業上の成果にどのようにつながるのか、その関係性を捉えにくいという声もあるだろう。
こうした事情はPJの価値そのものを否定するものではない。むしろ問い直すべきは、「PJは、誰にとって、どのような価値を提供するために作るのか」を、その都度言語化することではないかと思われる。目的が変われば、集めるべきデータも、可視化の形式も、共有のあり方も変わる。
「とりあえずジャーニーマップを作る」のではなく、誰のどのような意思決定を支援したいのかを起点に設計することが、PJを"使われる道具"へと近づける第一歩となる。
筆者は現在、市場調査のサポートをする傍ら、博士後期課程においてPJの臨床的価値を検証する研究に取り組んでおり、近い将来「役に立つペイシェントジャーニーマップ」のエビデンスの一端を示せればと考えている。
「描いて満足する」のではなく、「目的を定めて作成し、効果を検証する」ところまでを意識して取り組むことが、今後のマーケティング戦略において重要となると考えられる。
本稿が、マーケターの皆様の新たな視座を得るうえでの一助となれば幸いである。
著:田口 武士
抗がん剤領域のMRを経て、エムシーアイ、GfK、Ipsos、Uismにて医療業界の市場調査の実務に15年以上携わったのち、2019年にピーエムリンク合同会社を設立。各種調査のサポートに加え、患者支援活動やデータ可視化システムの開発に取り組む。
並行して、東京医科大学大学院医学研究科 博士課程に在籍し、ペイシェントジャーニーの臨床現場における価値を研究している。
【参考文献】
Velikova G, et al. J Clin Oncol. 2004;22(4):714-724.
https://doi.org/10.1200/JCO.2004.06.078
Basch E, et al. JAMA. 2017;318(2):197-198.
https://doi.org/10.1001/jama.2017.7156
Denis F, et al. JNCI. 2017;109(9).
https://doi.org/10.1093/jnci/djx029
